曖昧さが美徳である時代は終わり。
日本では、曖昧さを美徳とする習慣がある。
お茶を濁す為に、曖昧さが利用され、
人を縛る為に、曖昧さが使われ、
争いを避ける為に、曖昧に済ます。
曖昧という姿勢は、人間関係に必要な、
潤滑油であるのは頷けます。
けれども、使い方を間違えれば、
淡い表現は、迎合を生み出します。
「迎合」とは、相手に気に入られようと振舞う事です。
淡い絵、わび・さび・しぶみを美徳とする雰囲気があり、
日本人の描く絵は、人に気に入られようと迎合したものばかり。
美術界の大先生達は、そのような絵を描くことに、
価値があると教えています。
何故なのかというと、そのように教えないと、
飯の種を失うからです。
本当のことを言えば、
美術の「先生」を退職しないといけない。
日本という国が、芸術に価値を置いていない為です。
僕は、曖昧は好きではない。
迎合すると人間が前に発展しない!
もう、そんな嘘の関係は終わりです。
曖昧さが美徳である時代は終わり。
板画はとっても良い表現手法です。
白か黒だから。
表か裏だから。
極端だから。
曖昧さがないから。
彫る前から、彫った後の状態へ
彫刻刀で版木を彫る行為は、
不可逆的瞬間を創り出す。
そこに価値がある。


