青の時間
ネガティブ思考は一般的に悪いと考えられているけれど、
僕はそうは思わない。時には必要です。
なにかしっくりこない、
生きている気がしない、
なんだか自分じゃない、
ああ、だるいな、しんどいな。。。
↓
これでいい!
これでこそ人間。
人間は不完全な存在だから、
いっつもポジティブであることなんて到底できない。
人間はプログラミングされたロボットではない!!
バグだらけですね。
モヤモヤは、遊びに行き、鬱憤をはらすことで、補正できる。
脳のしわ、サブルーチンを増やせばいい。
良いときもあれば悪いときもある、
それでこそ生きている証。
何で自分を拓くかが問題
どの場所でも、暴走族がバイクでブンブン叫んでいます。
あれは、
自分のもやもやが抑えられなくて、
どうしたらいいか分からないから、
大きな音を出して人に迷惑をかけて、
気を紛らわしているだけ。
がんじがらめになっているから、可哀想です。
表現する方法を知らないだけ。
ブンブンしても、何にも解決しない。
もう少し歳をとったら気づきます。
もっと社会的な存在に自分を拓いていって、
その場で叫ぶべきです!
方法は、いろいろあります。
本を書いても良い、
歌を歌っても良い、
演劇で演じても良い、
絵を描いても良い。
大事なのは、「こだわらない」事です。
自分の考えが間違っているんじゃないか、とコダワったり、
人の目が気になって怖い、とコダワったり、
私は誰にも相手にされない、とコダワったりしない事。
人生の目的を決めることが必要です。
それがもしできたら、
世の中に叫ぶことができるし、
自分を拓くことができる。
演じるとは?
芸術とか演劇とかサーカスとか、
演じて人に魅せる活動に対して、日本国は非常に消極的です。
この国で演じるのは、大変厳しい環境です。
本当の事を口にして、本当に演じたら、
それ単体では決して食っていけないです。
芸術に関しては、モダンアートが叫ばれている今の状況でも、
画壇とかの古い毒がはびこっている。
日展とか展覧会に出展されている絵は、何の魅力もない。
審査員の画壇の連中の絵が魅力ないし、彼らは、
自分と同じ感じで描いている作品だけに良い点数をつける。
新しい風を取り入れる余裕がないほど、自分達を守っている。
彼らに媚びた絵を描ける人だけが評価されるし、
画壇の仲間入りとなって食っていける。
しかし、これは演じるとは何ぞやと考える以前の話です。
彼らは単なるお絵かき倶楽部です。
趣味の活動です。
お遊びです。
このような展示に作品を出しても時間の無駄です。
ゲイジュツの学校に通っている、または卒業した人間は、
すでに先生に個性を奪われているから魅力がない。
作品は線は全部死んでいる。
この人達は、将来の画壇連中です。
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趣味の段階を抜けられない間は何を演じても意味ないと僕は思う。
たとえ長い時間をかけていても、本当に演じているとはいえない。
人に何かを伝えること、人を感動させることは不可能です。
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何故、吉本新喜劇はあれほど人気があるのか?
お客が貴重なお金を出してまで見に行きたいのは何故か?
毎日毎日殺伐として退屈な生活に飽き飽きしているから、
せめてガハハハと笑って、気を晴らしたいからです。
なんの魅力もないけど、それが分かっているんだけれども、
大勢の人が、観に行って楽しんで幸せになって日々の生活に帰ります。
吉本のこの場は趣味の世界を少しだけ抜け出している。
だから、人は魅力を感じて沢山のお客さんが来るんだ。
たとえばパチパチパンチの島木譲二は、世の中で演じている一人です。
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僕の夢は、芸術で世の中を変える、面白くする事です。
日本は、前衛を拒絶する環境なので、非常に時間が掛かる。
演じるとは何かを発信できる人間には、全然出会えないなぁ。
残念で仕方がない。
老衰の第一歩
歳とった世代というのは、意地悪です。
「近頃の若いものは・・・」
この言葉が口をついて出た瞬間、その人は絶望的に老人です。
新しく出てくるものを、極めて好意的に判断しているつもりでも、
新しくおこったものが、危険な存在にしか見えないし、
身の保身のために、つい口に出してしまうのです。
まるで自分の時代は素晴らしいものであって、
新生の若者の価値観は、何か悪いものであるかのように指摘するのです。
今までになかった価値観、雰囲気を感じる対象というものは、
時代を切り開く可能性が秘められています。
つまらない説得により新星のヤル気を奪う卑しい行動をとるのではなく、
その価値観を大きな眼で認めるべきです。
その怖い気持は十分わかりますよ。
自分の存在が空しいものであると判断するきっかけになってしまうから。
新しい価値観を受け入れる柔軟さがある高年齢の人は、
いつでも輝いています。
「芸術」という言葉
芸術という言葉
「芸術」という言葉は、
明治時代の西欧近代文化が輸入され始めた頃に、
新しく導入された近代的観念です。
それまでの日本では、芸術という言葉を使われたことがありましたが、
現代でとらえられている意味とは随分異なっていました。
例えば、江戸時代に芸術といえば、
武芸の「芸」、剣術の「術」で「芸術」でした。
幕末の思想家 佐久間象山は、
「東洋の道徳、西洋の芸術」という言葉を残しています。
東洋古来の伝統を固持する一方、
西洋のもの、技術を取り入れる、ということです。
ここでいう芸術は、「学問」「技術」といった意味を
含有しているでしょう。
現代のような意味に、とらえられるようになったのは、
明治末から大正のはじめにかけてです。
現代において芸術という意味は、
文芸、映画、美術、舞台などを総称するものであるのが一般的なのですが、
そのような意味で言いくるめておく事はできません。
現代人は皆、
間違った意味で芸術をとらえています。
僕はそこに疑問を強く感じます。
そうやないんだ!!
芸術という言葉は、
さまざまな娯楽の総称として使うような代物では決してありません。
芸術は、人間の存在を進化させる為に使うべき言葉です。
現代の日本人は、大陸からくる言葉を有り難く使うくせに、
本当の意味を理解していません。
勘九郎
なぜ、芸術はあるのか?
われわれ人間は、
生きていると、人生のある一時に、疑問が湧いてきます。
「どうして芸術なんていうものが、この世にあるのだろう?」
「なぜ芸術は人を惹きつけるのだろう?」
「まことに、芸術って何だろう?」
しごく素朴な疑問ですが、実はこれは、
生きている人間にとって、非常に本質的で的を射た疑問なのです。
どうして芸術があるのか?
あなたは、何故だと思いますか?
Wikipediaによると、「芸術」とは以下の通りです。
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芸術(げいじゅつ、希: η τεχνη、 techne、羅: ars、英: art)とは、
表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、
精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。
文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、
音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す。
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美術の学校って数多くありますよね。
そこで絵や彫刻の先生がいろいろな見解を示しています。
けれど、どんな偉いさんの意見も、
どれ一つとして、根本的に統一された認識がない。
どんな人の意見を信じれば、芸術というものが分かるのだろうか?
なんだろう、いったい芸術ってなんだろう、わからないな。
ところで、芸術というものがなかったとしても、別段苦もなく生きていくことができる。
仕事をしてお金を稼ぎ、ご飯を食べておいしいな、寝て起きて気持ちがいい。
暇な余暇は、ヨットやスキューバ、遊園地や夜景を見にいったりできる。
ああ、楽しいな。 なんだ、結構人生楽しめるじゃないか。
けれども、うん、何だろう、この自分の人生に対するむなしい気持ち。。
なにかわからないけれど、たまに感じるこの焦燥感、絶望感は、
一体全体何だろう。
そんな時、ふと美術館などで絵を見ると、
モヤモヤが晴れ渡るときがある。
作品を手で触れてみると、小さな感動がある。
なんらかの変化を感じ取れるなあ。
貴方も、こんな体験をされたことがあるでしょう。
実は、芸術は生きる喜び なのです。
芸術は、ちょうど、毎日の生活でしている行動、
ご飯を食べたり、呼吸したり、するのと同じ、
決して欠くことのできない必要物なのです。
ですが、何かそうではないモノとして認識されています。
その反対意見によって、芸術の本質的な意味が錯誤され、
芸術の本質的位置がゆがめられ、空虚な存在になっています。
断言しますが、芸術とは、文芸でも、美術でも、音楽でも、演劇でも、映画でも、
そのどれでもありません。
芸術は、人間の感情に訴えかけ、
人間に人生に変化をもたらすキッカケなのです。
これから、少しずつ、芸術の意味を考えていき、紐解いていきたいと思います。
人生には明確な決断が必要です!
●固定報酬を生活の糧にしている人間に、
魅力的な人は少ない。
なぜなら暇だから。
暇だから、他人のことが気になって仕方がありません。
話をしても、低次元の欲望のことにしか頭が行きません。
低次元の欲望とは、
性欲、食欲、睡眠欲、自尊心、プライド、人の噂などです。
このグループは、迎合しあう関係しかできません。
●成果報酬を生活の糧にしている人間に、
魅力的な人は多い。
なぜなら忙しいから。
忙しいから、仕事がいっぱいあるから、
自分のことに目を向けないと、仕事が片付きません。
話をしたら、前向きで高次元の欲望のことに頭が行きます。
高次元の欲望とは、表現欲です。
人を感動させる、楽しませる、喜ばせる事に喜びを感じます。
このグループは、尊敬しあう関係が構築できます。
一刻も早く、後者の側に行かなくてはいけない!
セルフイメージング
君は何者だと聞かれれば、こう答えます。
僕は、『芸術家』です。
自称や似非の、芸術家ではないです。
セルフイメージング、潜在意識を刺激した結果です。
人間の感情を芸術をキーとして紐解いて情報発信して、生きるぞ!
生命を支えることに注力するのは大前提で、
それにより生かされている事に感謝し、
質の高い表現をするぞ。
生きている時間は限られています。
短い時間で何をして生きるのか。
Who + What + Where + When + Why
誰が、何を、何処で、何時、何故、どのように
= 5W1H
= 夢をかなえるパッション試金石
自分で限界を決めるな!
僕は今まで、写実は意味がないし無駄だと考えていました。
そっくりそのままの模写は意味がない、
すでに存在するものは価値がないと思っていました。
思い込んでいました。
写実的な絵を描けない人間に、写実画を批判する資格はありません。
ベラスケスレベルのように描く事ができなくてもいいけれど、上手い絵も描けないといけない。
とはいえ、上手い絵を描く訓練は必要であるが、
ただ意味もなく描く ” 絵職人 ” になる必要はありません。
何故なのかと言うと、個性がなくなるからです。
職人の仕事は、職人に任せておけばええです。
僕は、画法に拘らずに、素描画を一万枚描きます。
2013年11月27日現在で、残り 9114枚
数で勝負。 数うちゃあたる。
そのうちの何十点かは、本当に掴み取れるものが描けるはずや!
君は芸術を知っているのか?
日本の芸術界は腐っている。
何故なのかと言うと、迎合の連続だからです。
画壇の人達は、自分達の振る舞いに似ている人しか見る能力がありません。
日本は文化を育てる環境ではありません。
何故なのかと言うと、文化とは残すものだという考えが蔓延しているからです。
否! 僕が思うに、文化とは過去を破壊して初めて創られるものです。
美術館、博物館に行く人は大勢いる。
投資目的で金額の張る絵画、彫刻を買う人は大勢いる。
観る人は大勢いるんだけれど、描く人、創る人はほとんどいない。
若い進取の芸術家の破壊された作品を買い取り、
それを新しい文化だと捉えて育てる環境では、
全くありません。
いわゆる経済優先な、残念な国なのです。
こんな国だからこそ、戦う理由がある。
あなたは僕についてくる覚悟がありますか?
僕は戦います。
美術館に収まる作品が芸術作品であるという常識をぶっ壊します。
あと70年もある。
それでは宜しくお願い致します。


