インカムゲイン

2015年11月-1

2015年11月-1

【明日、死ぬと思って生きる】【永遠に生きると思って夢を見る】

人間が孤独である理由

 

他人を思う通りにコントロールする事が
絶対にできないという事実がある故に
孤独なのです。

 

孤独を、受け入れて、楽しんで、そして、
孤独に負けてしまわずに、諦めずに、
自分自身を律さなくてはいけない。

 

充実して生きていると実感したければ、
明日、死ぬと思って生き、
永遠に生きると思って夢を見よう。

 

いつ死ぬか分からないんです。

 

昨晩お風呂に入ってぐっすり寝ていたのに、
朝になって冷たくなってるかもしれない。

 

いつお迎えが来るのかは分からないけど、
そうなったら全てが無になるのだから、
無駄な時間は一切過ごせない。

 

自分がやりたい事を続けるために、
永遠に生きるんだと前向きに考え、
毎日を楽しもう。

 

寿命は100年もあるんですよ。
100×365×24=876,000時間です。

 

有効に使えば、生きている間に
やりたい事は死ぬほどできる。

 

【出る杭を打とうとする輩】

出る杭を打とうとする人間は、
本当に根性が腐ってる。

 

個人というトンカチで打つのではなく、
組織というトンカチで打とうとする人間

 

本当に姑息で情けなく可哀相だ。

 

前に進む杭に、
直接文句を言う勇気がない。

 

気づいてよと依存してくる。

 

嫉妬してるの?
ツマラナイな。

 

君の人間性の低さに辟易します。

 

でもそんな輩には感謝している。

 

俺に興味を持ってくれて有難う。
反発する者が居るからこそ面白い。

 

人生は全て芸術に通ずる。
アンチがあるからこそ芸術は前に進む。

 

挑戦する姿勢で生きれば、
敵が増えるけれども、
毎日が刺激的
です。

 

「出る杭を打とうとする輩」で描こう。

 

俺に起こる全ての事は、
芸術で感情を描くキッカケになる。

 

情熱は無限に広がる。

 

【ステータスゲーム】

ニワトリ小屋を観察すると
ニワトリは突っつき合いをします。

 

より優位にあるニワトリが、
より劣位にあるニワトリ
全てを突っつきます。

 

つまり、
1位は2位以下を全てを突つき
2位は3位以下を全てを突つき
そして最下位は突つく奴が居ない。

 

どうして突っつくのか?

 

社会が順位制でなりたっているからです。
優劣に従って社会性と集団を維持しています。

 

誰が強くて誰が弱いという優劣を決める
ステータスゲームを常にしています。

 

人間の世界に置いても、
このステータスゲームが常に行われています。

 

メンターによると90%以上の集団内の個人が、
ステータスゲームを常にしているそうです。

 

強いと勘違いしている者が、
彼が弱いと勘違いする者を、
容赦なく突っつく。

 

そうすることで、
集団の団結力を維持している。

 

君達はビジネスマンだぞ!
その自覚を持て!と上から教育されるが、
社員はビジネスマンではありません。

 

会社の経営者や投資家がビジネスマンです。
社員はみんなサラリーマンです。

 

ステータスゲームの中にいる
事を常に認識しなくてはいけない。

 

そしてステータスゲームから、
降りなくてはいけない。

 

漫画バガボンドに、次のシーンがある。
「俺は殺し合いの螺旋から降りる」

 

それが正しい選択やろう。

 

つまりステータスゲームに負けてあげよう。

 

人間として、
ニワトリには構築出来ない
生き方で生きていこう。

 

【テクニックに惑わされる女から離れよう】

感情を揺さぶるテクニック
精神を揺さぶるテクニック

 

テクニックに反応して惑わされる
魅力のない女から離れよう。

 

その女とは長期的に見て
うまくいかない事が目に見えている。

 

時間が勿体無いから離れよう。

 

真に魅力的な女は男のテクニックに必ず気づく。
「あ、この男は、私を抱きたいだけなんだねー。」
「あ、僕ちゃん、可愛いね、でも馬鹿だねー。」

 

テクニックに逃げても、
いい女は絶対に手に入らない。

 

このようなレベルの高い女は、
長期的に先を予測する能力に長けているし、
絶対に男に恥をかかせる事がない。
男を育ててあげようという器量がある。
そして生きている事に感謝している。

 

歳が若いほどテクニックに惑わされ、
歳を経るにつれてテクニックに気づくのが大半の女だけど、
歳が若いけどテクニックに既に気づいている頭の良い女もいる。

 

後者の女を求めよう。

 

容姿は全く関係ない。
どうせ歳をとって皺くちゃになるんだから。

 

男には女を選ぶ権利がある。

 

【手離そう】

手離そう。

 

つまらない執着を手離そう。
つまらない拘りを手離そう。
つまらない苦しみを手離そう。
つまらない哀しみを手離そう。

 

コントロールできない事を手離そう。
そうすれば楽しい気分に浸る事ができる。

 

斎藤一人さんの本に書いてある。
困った事は何一つ起こらない。

 

全てを楽しみに変える方法は、
楽しくない事を手離すことやと思う。

 

そうすれば困ることはない。

 

【気違いと勘違いされろ】

「気違いやなこいつ」と思われるほど、
何かに没頭しなくてはいけない。

 

そうでないとなにも達成できない。

 

SNSで他人の投稿を見ていると、
あたかも気違いなんじゃないかと
思わずにはいられないほど、
1つのことに没頭して、
1日に3回4回と何度も動画や写真を
投稿していたりする。

 

価値のある情報を提供して下さる方が
沢山居ます。

 

それを見ていると
学ぶ所が沢山あるし
凄いなと思うし
尊敬します。

 

何かを達成する過程というのは、
そういう事なんやな。

 

投稿内容が、その人の
人となりを示している。

 

凡事徹底」という言葉をメンターから
初めて聞いたとき、1つのことを続ける
ということがどれほど大切な事なのか
学んだ。

 

徹底的に凡事を実践されている人が
沢山世の中に居るんやなと日々感じている。

 

俺も、もっと気違いになろうと思う。

 

いつでも離れた魅力的な人と繋がれる
現代の環境は素晴らしいと思います。

 

【時間は限られている】

いま30歳の人はあと60-70年で死にます。
時が来たら必ず死んで全て無になります。

 

人間には生きる時間が限られています。

 

だからこそ自分が信じた道、
人とは違う道を行かないと、
とても勿体無いと思う。

 

あなたが生きている間に、
本当にやりたいことは何ですか?

 

普通に暮らして
美味しいご飯を食べて
気持ちよく排泄し
仕事に行って稼ぎ
出会い
付き合って
結婚して
子供ができて
家を買って
家に住んで
子供が巣立って
老後の生活に入り
死んでいく

 

一般的な生きるレールの上に
乗ることを望むのなら、
そう生きたら良いと思います。
きっと幸せになれると思う。

 

ところで
生きる意味ってなんやろ。

 

生きる意味を考えた事があるけれど、
生きる意味なんて何もないと思う。

 

あえて言うんなら、もしかしたら、
飯を食って子孫を残して死ぬのが、

 

人間にとっての生きる意味なのかな。

 

俺もこのレールに興味はあるけれど、
これだけでは刺激が足りないと思う。

 

この生活は楽しいかもしれないけれど、
退屈な人生なんじゃないかと思います。

 

だから、もっと寄り道しよう。

 

やりたい事
没頭できる事
集中したい事
達成したい事

 

それに時間を使う寄り道をしよう。

 

俺の寄り道は芸術です。

 

人に認めて貰おうと迎合する芸術ではない。
誰にも認められない本質を突く芸術を、
生きている間に突き詰めたい。

 

ただ、
自分の思った通りに寄り道し過ぎれば、
人が離れていくというリスクは、
負わなくてはいけない。

 

本当に大切に思ってくれる人は離れないけど、
これは辛い道でもある。

 

光陰矢の如し。
生きている時間は限られている。

 

だからこそ、
大切に限られた時間を
有効に使おう。

 

【青春とは?】

若者が無茶な行動を取った時、
"若気の至り" と言われます。

 

僕はその態度に反発します。
理由は彼が挑戦しない人だからです。

 

彼は既に若くないからです。
精神的年寄りだからです。

 

青春は年齢ではありません!

 

青春は肉体的な若齢さ老齢さから
くるものでは決してないです。

 

青春は、精神的な面において
若いか否かで論じなくてはいけません。

 

老齢で精神や行動が若齢の人がいれば、
若齢で精神や行動が老齢の人もいる。

 

挑戦する人間は皆んな若いです。

 

精神的に明るく自分の道を信じて
前に前に突進しています。

 

失敗を恐れずに、失敗する事を決意して、
前に進む人間は、皆んな青春を生きている。

 

"若気の至り"と言う人は、
どうしようもない年寄りです。

 

若い人を羨ましがって、
自分の人生を後悔しているだけ。

 

芸術が ” わかる ” ” わからない ”

 

芸術が ” わからない ” と人は言います。

 

これまでに見た事のない作品に触れると、
なんだこれ、よくわからないなと、
思わず言います。

 

何故そのように言うのでしょうか?

 

芸術が ” わかっている ” から、” わからない ”と言うのです。

 

芸術とはこのようなものだと。

 

顔はここにあって、鼻、口、目、耳はこの位置にあって、
腕がここにあり足がここにありといった、
常識と固定観念に縛られている。

 

その枠から少しでも外れたら、芸術ではないと片づけてしまう。

 

その時の言い訳として、芸術が ” わからない ” と言うのです。

 

これまで見てきた芸術の観念でしか作品を見れないから、
自分では解釈できない。

 

解釈できないのが悔しいから、言い訳をするのです。

 

” わからない ” と言えば済むと思っている。

 

居心地が悪いからと言って、逃げてはいけない。

 

本物の芸術であればあるほど、既成の概念から逸脱しています。

 

ある一個の人間が、枠から大きく離れている作品を見ると、

 

彼が芸術の常識と固定観念に縛られている人であればあるほど、
”わからない”と主張するのです。

 

芸術は”わからない”ことが前提です。

 

芸術を ” わかる ” 努力が必要である。

 

つまり、もっともっと、”わからない”芸術を、
全身で受け入れる必要があるのです。

 

現代人は部品である。

 

現代人は部品です。

 

総合力のある人間が少なくなってきて、
ある一つの事しかできなくなってきた。

 

中にはできる人はいるけれども、
ある一つの事しか許されなくなってきた。

 

何故なのかというと、結果が変わるからです。

 

過去に得た販売実績や成功を繰り返すには、
同じ質で価値を提供しなくてはいけない。

 

昔の下駄職人さんは、
下駄の製造から販売まで全てを行っていた。

 

大まかな流れから、各所での細かい作業まで、
すべて把握していたから、何でも自分ひとりで作れた。

 

また、作るときの状況、気分などによって、
こしらえた商品は、同じ下駄でも微妙に違っていた。

 

大まかな品質は同じだけれど、細かい部分で違いがあった。

 

それでも売れたし、許された。

 

すべて自分の考えで出来たので、楽しかったでしょうし、
生きがいを感じることができました。

 

 

ところが、現代ではどうでしょうか。

 

工場での仕事などは本当にそうですが、
ラインの特定の部分だけの仕事をすれば良いだけ。

 

担当する仕事だけ完璧に行えば、給料をもらえる。

 

全体的な流れを知らなくても、最終的には、物は完成する。

 

担当部署を分けて、各所のプロフェッショナルを多く集める。

 

そこで働く人間は、担当の仕事は問題ないけれど、
その前後の仕事は全く知らない。

 

ここは別の部署が行う部分だからという理由で、
前後を全く知らないし、また知ることも許されない。

 

ただロボットのように、同じことを繰り返すだけ。

 

疑問にも思わず、ただ言われたことを、黙々とこなす。

 

総合力がないから、部品のように扱われることに甘んじている。

 

いつでも替えの効く歯車です。

 

仕事の遣り甲斐を感じることは不可能です。
人間的な発展は、分化された現代の仕事にはありません。

 

 

現代人は替えの効く歯車、部品、螺子です。

 

その状況から抜け出す方法は、型にはまることを怖れ、
新しい、まだ存在しない”もの”を、創ることを続けること。

 

生み出す姿勢で生きることで、総合力がついてきます。

 

生きている実感を得るために、
替えの効かない歯車になろう!!

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