2011年03月29日
「え、、、絵!? これ絵、、?!」と不思議そうに言った、小学生
「おいこの落書き、日に日におかしくなっていくよな〜!」と言った、中学生
(ヒソヒソと)「なにあれ、子供が描いたような絵、
あんなのを描くために、お金を使うなんてあたしにはわからないわ」
と言ったお姉さん。
えらい大きな声で喋っていたのに、近くに来たら突然黙りこむお兄さん。
「いや〜〜〜何これ〜〜!」と言った、おばちゃん。
「子供に見せないといけないわ」と言った、おばちゃん。
「ピカソみたい!!」と言った、おばあちゃん。
「元気をもらえる!」と言ってくれた近所のおばあちゃん。
タバコをプカプカふかして、じっと真剣に見つめていたおじいちゃん。
描いているとき、コーヒーをくれたおばあちゃん。
描いているとき、お菓子をくれたおばあちゃん。
・・・
芸術に触れてくれた人、みんなに感謝しております。
作品が芸術ではありません。
創作している瞬間、
その場が本当の芸術です。
その瞬間が大事であるということを理解できない人は、
見て見ぬフリをしてしまいます。
すでにできあがった”もの”に、僕は執着しません。
見る人に全てを任せます。
立ち止まって見つめた人は、
小さな子供か、おばちゃん、おっちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんです。
高校生、青年、お兄さん、お姉さんなどは、みんな見て見ぬふりです。
高度成長期、イケイケドンドン時代を謳歌した、
現在50,60,70,80,90歳の人は、何かしら感じとる感性があるのでしょう。
前衛に共感してくれる。
また小さな子供も、何かしら感じ取る感性があるでしょう。
ここ最近20,30年で培われた社会の嫌らしい影響にはまだまだ無垢だから。
いまの20,30,40代の人には理解してもらえない。
彼らにとっては、何だかよく分からない絵だ、
落書きだなあ、といった感じです。
でもそれで結構。
絵は本質的には子供の落書きです。
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キャンバスをお貸しくださった先鋭的な大家さん、
非常に感謝しております。
でかい仕事を挑戦させて頂きまして、僕は幸せ者です。
足場をお貸しくださった人、大変感謝しております。
画材を協力してくださった人、大変感謝しております。
でも僕にとっては、これは単なる通過点にすぎない。
自分で見ても、少しもアヴァンギャルド性を感じない。
もっと社会性を持たせる必要があると思う。
現代で通用している様々な既存の概念は、
嘘である事が多いと僕は日々感じます。
例えば、芸術についてがそうですね。
傷がつかないように配慮して、美術館のガラス部屋に
コソコソ飾っている作品が芸術では決してない。
「絵を描いているから、芸術家だ!」という概念は間違っています。
「私には絵心がないから、絵を見ても分からない」というのは
間違いであり、大事な問題から逃げています。
絵を見てすぐに、「え〜、すごい!」と、よく見ずに考えずに言ってしまうのは
気をつけないといけません。
どんな形であれ、人は皆、意識するにせよしないにせよ、
芸術と呼ばれるものに必ず関わっているのです 。
演じる人
全景
前景
悩んでいる自分という存在は、
常に巨大な壁に阻まれています。
それを崩すのは容易ではありません。
崩そうにもどうしても崩れない。
本当に苦しい、本当にしんどいです。
ですがその忌まわしい壁を打ち倒したら、
一体どうなるでしょうか?
↓
すばらしい未来が待っています。
男の子は本物の女の子に出会います。
女の子は本物の男の子に出会います。
二人いれば、どんな問題でも乗り越えられる。
お互いが、迎合し合わず、
支えあい慈しみ励まし合うことによって、 男と女は、
肉体的にも精神的にも全身全心で溶け合うことができるし、
世の中に存在しない、新しい”もの”を生み出すことができます。
人は皆、替えの効かない歯車です。
誰一人として、
社会の中の歯車でないということはあり得ません。
力があっても、なくても、
仕事が出来ても、出来なくても、
あらゆる事に対して未熟であっても、
社会に関わっている存在である以上、
[世界という太陽 = 巨大で複雑な歯車]を回そうと努力するべき
大きな責任があります。
現在の自分の目の前にある仕事・勉強を、
一生懸命頑張ることによって、
例えば困っている人を、
めぐりめぐって何かしら何らかの形で
元気づけられるかもしれない。
社会を回す努力は、
僕たち一人一人がするべきことです。
演じなくてはいけません。
人生を賭けて、人生という舞台で、
最高の演技をしなくてはいけません!
そんな中、常に窓の外から客観的に自分という存在を、
厳しく冷やかに、そして冷静に見つめる必要があります。
どんなに悩んで苦しんでいても、
どんなに成功して喜んでいても、
褒められても、貶されても、
馬鹿にされても、何を言われても、
いつなんどきでも、自分を客観的に見つめる窓が必要です。
その窓も、自分の力で創らないといけません。
岡本太郎は、「人生とは即、芸術です。」と言いました。
それは、本当のことです。
それを実感できたのは貴重な経験です。
ありがとうございました!
勘九郎

